街中に監視カメラが溢れ、ネットでの政治的発言で逮捕される——。英国人作家のジョージ・オーウェルが1949年に、国家によって監視・管理社会(ディストピア)化した近未来社会の恐ろしさを描いたSF小説「1984」の舞台版が、くしくもオーストラリアで全国ツアー中だそうだ。世の中がストレスにまみれた社会になる中で、実は日本も近年、その例外ではなくなっているのではと身に染みて感じている。【NNAオーストラリア・西原哲也】 まずオーストラリアでの体験から紹介したい。 バス通勤していればよくあることだが、バス車内の交通プリペイドカードの読み取り機が故障していることが時々ある。その際は運転手も乗客に「払わなくていいから」と言わんばかりに、親指で乗車を促してくれる。故障ではなくても、乗客が何かの事情を説明して、払わずに乗り込む光景を見ることもある。そうした場合に、他の客が不公平だと文句を言うことはまずない。 また別の日に、シドニー郊外のある社交クラブ施設に、日本から来た知人を食事に連れて行ったことがある。会員でなければ、身分証明書がないと入れないのだが、知人は身分証明書を忘れてしまった。車で30分もかけて家に取りに帰るわけにもいかない。 そこで筆者は、ダメもとで受付で交渉してみようと思い、担当主任スタッフに事情を説明してみた。すると彼は「ではカジノをしないならいいよ」と特別に利用を許可してくれた。 オーストラリアのこうした寛容さは、この国に住む日本人なら誰でも経験しているはずだろう。不都合な事態が発生した際にも社会は斟酌してくれる、という安心感は、オーストラリア社会の住みやすさを象徴している。 ■日本での体験 ところ変わって日本——。筆者は、状況が似た場面を一時帰国時に経験している。 ある日、東京都内のバスに乗った際、その直後に車内の現金支払機が壊れてしまったようだ。するとバスは、その後誰も乗せることはなく、各バス停で待つ客を無慈悲に通り過ぎ、筆者を含めて数人だけを乗せて走り続けた。これにはかなり戸惑った。運転手もしくはバス会社は、利用者のことよりも、不公平さに対する説明責任を回避したかったのだろうか。 また6月中旬に、地方から新幹線に乗って東京まで行った時のことだ。新幹線を東京駅で降りても、山手線内の駅までは無料になっている。だが東京駅で乗り換えた際に、改札で切符を取り忘れたことに気が付いた。だが、新幹線の領収証があるのでそれを見せればいい。 さほど心配もせず、品川駅で降りて説明すると、マスクをした若い女性駅員は「東京駅からの運賃180円が必要」とにべもない。こちらは「領収証を見れば、明らかにキセルでないのは分かるでしょう」と主張したが、この駅員は苦情慣れしているかのように同意せず、上から目線で「東京駅まで切符を取りに行ってください」と、ロボット的な口ぶりで言うのであ然とさせられた。 これが数千円なら粘ったところだが、180円でケンカするのもバカバカしく、ぶ然としてカードで払おうとすると今度は「カードは使えません」——。 ここは世界の観光都市である東京だ。新幹線の乗り換えで切符を取り忘れ、現金を持ち合わせていない外国人の旅行客はごまんといるはずだ。 ■中国の状況 ところ変わって中国——。筆者は2008年から中国の北京に住んでいたことがあるが、当時は国家の威信をかけた北京オリンピックを控え、インフラ開発で沸き立っていた。 当時でも政府批判する中国人はいたし、ある程度の自由活発な雰囲気はあった。だがそれから国民を監視する監視カメラが急速に増加し、現在は中国全土で約6億台(!)設置されているという。 これは中国政府による、犯罪抑止や社会秩序の維持を目的として進める大規模監視システム「天網」の一環だ。高性能監視カメラと人工知能(AI)技術を組み合わせた顔認識や行動分析を通じて、なんとわずかな足の動きだけでも人物を特定できるとして、中国人のわが友人も恐れおののいていたのを思い出す。 その「おかげ」か、中国の犯罪件数は急激に減少し、犯罪の発生頻度を数値化した「犯罪指数」は世界でも非常に低い水準になった。 ■張り巡らされる天網 「天網」という言葉は、「天網恢恢(かいかい)疎にして漏らさず」という老子の言葉として日本でも使われる。「天の網は広く大きく、目が粗いように見えて決して取り逃がすことはない」という意味だが、実はそれは皮肉な意味で日本に特に当てはまる。 利用者の側に立たず、わずかな交通運賃さえ取り逃すまいなどという天網だけでなく、「税制」や「衆目による監視」「同調圧力」など、あらゆる分野で天網は日本中に張り巡らされている。 八百屋を家族で営む日本の知人が、仕入れ野菜の一部が家族用かどうかで追徴課税される一方で、数億円規模で裏金を作っていた自民党議員の処分はないまま、選挙を前に既に希薄化している。大手メディアも、国民の納税負担を下げる消費税率軽減や、財務省批判には口を閉ざす。 江戸時代に「白河の清きに魚も住みかねて元の濁りの田沼恋しき」と歌われた松平定信の「一見クリーンだが息苦しい統制社会」は、令和の時代になってさらに輪をかけている。これがさらに、中国が誇る監視システム社会に向かないことを祈りたい。(了)