Vシネマの帝王・小沢仁志が語る煩悩のススメ「左脳で生きるな、右脳で生きろ!」

近年はテレビのバラエティ番組や自身のYouTubeチャンネルでも大活躍中の"顔面凶器"にして"Vシネマの帝王"として知られる俳優・小沢仁志。 7月30日に初の単著『波乱を愛す』(KADOKAWA)を上梓した小沢に、その半生や仕事へのこだわりについて赤裸々に語ってもらった。 ■失敗を回収してきた半生 ――今回、初めての単著を上梓されたわけですが、この『波乱を愛す』というタイトル、小沢さん自身は当初、納得されてなかったそうですね。 小沢 編集者からの提案だったんだよ。俺としてはさ、昔から「小沢の人生は波乱万丈だな」と言われるけど、無我夢中に生きてきただけで、別に波乱を愛しているわけじゃねえって。ただ、波乱のほうから勝手に来んだよ。いわば、波乱の片思いだな、正確には(笑)。 ――実際、本の中では波乱ばかりとしか言いようがない半生が綴られています。 小沢 自分の人生について喋っているときは「別に普通じゃね?」くらいの感じだったけど、活字になって読み返すとひどいな。「なんだこれ?」っていうエピソードばかりだよ。 ま、こんなタイトルで偉そうに大風呂敷を広げたんだから、「もっと過激なことを言わなきゃ」っていうサービス精神が出るよな(笑)。そのくらいしないと、読んでくれる人に申し訳ない。だから、『波乱を愛す』なんて書名にした責任は取った内容になっているよ。 ――63年の半生を客観的に振り返って、どういう人生だったなとあらためて感じましたか? 小沢 失敗が多いね。でも、ただ失敗しているだけじゃなく、その失敗をあとから回収してきた人生だな。例えば、俺は97年に『殺し屋&嘘つき娘』という作品で初めて監督をやったけど、当時は役者が監督をやることに対して批判の嵐だったんだ。 映画監督の70%が食えてないという時代だったから、向こうからしたら、「俺たちの食い扶持を奪いやがって」というもんでさ。マジな話、それまで俺を使ってくれていたある監督から、「お前は監督をやったから使わねえ」なんて言われたからな。 俺としても、「これは余計なもんを背負っちまったな」と思ったけど、そのおかげで、「いざとなれば、俺は自分でものを作れるんだ」という自信がついたわけだ。これはでかかった。 今では自分がやりたい企画があれば自分で企画を立て、プロデュースしたり、自分で監督をやったりもできる。初めての監督作は批判ばかりで、作品としてもヒットはしなかったけど、あの失敗があったから、今があるんだと思っているよ。

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