木曜特集です。今から30年前、山形市で小学1年生の女の子が、下校中に軽乗用車にはねられて亡くなりました。愛する娘を突然奪われた家族の苦悩と、その後の歩みを取材しました。バースデーソング「ハッピーバースデー」山形市の渡辺祥子さん(当時6歳)です。発表会の2か月後、小学校から自宅へ帰る途中で交通事故に遭い、亡くなりました。(祥子さんの母・渡辺理香さん)「心臓の動きを示すモニターがゼロを示してしまって。ちょうどその時、主人が処置室に駆け込んできた。それも全部見える。その時、看護師さんたちがかけた言葉も全部耳に残っている。消そうと思っても消せない記憶」母の理香さんは、事故の後、被害者遺族の思いを伝える活動を続けています。(講演の音声)「目の前に苦しんでいる娘がいるのに、私はその痛みを和らげることも、代わることも、治すことも、何一つできなかった。苦しいことや悲しいこと、つらくなった時、絶対に一人で抱え込まないでほしい。あなたがたを心配し、大切に思う人がそばにいるから」交通事故で娘を亡くし、その記憶を伝え続ける母親の30年です。今年10月、ショッピングセンターの一角で行われた「生命(いのち)のメッセージ展」。交通事故などで亡くなった人たちの等身大パネル、そして、生前履いていた靴が並びます。(展示パネルより)「2001年6月30日。我が家の次男・尚己は亡くなりました。加害者は生徒たちを確認していたにもかかわらず、猛スピードを出し、ブレーキを全く踏んではくれませんでした」(展示パネルより)「居眠り運転の対向車がセンターラインをオーバーし、正面衝突。大好きなお父さん、やさしいお父さん。でも、もうお別れだね」(訪れた人)「同年代くらいの子どもが同じ目に遭ったら、と考えると本当につらい」(訪れた人)「これは心に痛い。傷が残るような残酷な話です」展示会は、交通事故遺族の会「こまくさの集い」などが開催しました。会を立ち上げた渡辺理香さん(65)。30年前、娘の祥子さんを交通事故で亡くしました。(渡辺理香さん)「小学校に入ってからは、毎日のように校庭のシロツメクサを摘んで、先生にプレゼントして、もう一つは私にプレゼントとして届けてくれた」当時、小学1年生だった祥子さん。夏休みを目前に控えた1996年7月18日、小学校から自宅に帰る途中、前から走ってきた軽乗用車にはねられました。(祥子さんの母・渡辺理香さん)「私の手でも足でも心臓でも取って治してほしいと訴えた。先生から言われたのは『手は尽くしたが99パーセントだめ』と。私ができたのは、娘の手を温め続けることと、宝物なので『行かないで』って…」警察は、車を運転していた女性を現行犯逮捕しました。しかし、検察は、女性に糖尿病の持病があったことから、「意識を失った中での過失責任は問えない」として不起訴としました。(渡辺理香さん)「持病がほかにもあるから不起訴という話だったので、ほかの病気は何かと聞いたら、それは加害者のプライバシーで教えられないと。いったい誰が悪くて、何が問題だったのか分からない」渡辺さんは、山形検察審査会に対し、「不起訴は納得できない」と申し立てを行いました。その結果、検察審査会は、「女性は糖尿病を患った後、十数回も気を失うなど、危険性を十分に認識していた」などとして、「不起訴不当」を議決しました。加害者の女性は業務上過失致死などの罪で起訴され、その後の裁判で有罪判決が言い渡されました。(渡辺理香さん)「事故そのものがなかったことにされることは許せなかったし、娘の生きた証しを消し去られるようで耐えられなかった」全国規模の遺族団体が開いた交流会。山形では初めての開催で、渡辺さんは事務局を務めました。(渡辺さんの夫・正弘さん)「乾杯」食事をしながら、被害者遺族同士、思いや悩みを打ち明けます。(参加者)「私は2000年11月28日に、集団登校中の9人の列に飲酒運転の軽トラックが突っ込む事故で、当時小学1年生だった長女を失いました」(姉を交通事故で亡くした参加者)「事故当時は大変な状況になってしまって、『人生終わっちゃった』とその時は思って…。すいません」(周囲の声)「大丈夫、大丈夫」(姉を交通事故で亡くした参加者)「今は楽しいと思える気持ちも、やっと20年経って戻ってきた気がしていて…」(会場の声)「泣いてもいいから。泣いてもいい場所だよ、ここは」(参加者)「弟が交通事故で亡くなって。ちょうど冬だったので雪でお墓に入れられなくて、1か月も2か月も、ずっと家に遺骨があった」(息子をひき逃げで亡くした参加者)「仕事は保護観察官をしている。自分の思いを話せる場所や人が全く無かった。ただただ仕事をしなきゃいけない。それは加害者の支援。普段話せないようなことも話せる場所が必要なんだと思う」(会場の声)「すごく上手ですよね」小学校から贈られた祥子さんの卒業証書です。(渡辺理香さん)「もらった時は、最初はつらくて見られなかった。今考えると、すごくありがたい話。娘が生きていたら、もう36歳」「その立場にならないと分からないことはあると思うので、『これはつらい』『これはありがたい』ということを、自分の思いを言葉にして周りの人に伝える大切さは、今、すごく感じている」事故から30年。消せない記憶を抱えながら、渡辺さんはその経験と思いを伝え続けています。