女子医大問題はなぜ起きたのか 20年前の事件当事者が体質を告白「横のつながりが希薄」「OG会の存在」

東京女子医科大学病院の元理事長が、キャンパスの施設建設をめぐる背任事件で逮捕された。元理事長は金権体質、独裁ぶりなどから「女帝」「東京女子医大のプーチン」などと呼ばれていたという。 同大学病院では、いまから四半世紀近く前に事実上切り捨てられた医師がいた。「いつき会 ハートクリニック」院長の佐藤一樹医師だ。 佐藤医師は「結局僕には過失がないことになっていますけども、チームとしては結局手術がうまくいかなくて(患者が)亡くなってしまった。それは一生忘れないこと」と振り返った。 2001年、東京女子医大で行った心臓手術で当時12歳の女の子が死亡。この事故が医療事故とする内部告発で明るみとなった。大学病院側がまとめた報告書では、助手として人工心肺を操作する役割だった佐藤医師が人工心肺装置の取り扱いを誤ったとし、業務上過失致死罪の容疑で逮捕・起訴され社会問題に発展した。 この事故を巡っては手術カルテの改ざんなども明るみとなり、事故を隠蔽する体質も問題に。手術を担当した医師も証拠隠ぺい容疑で逮捕・起訴され執行猶予つきの有罪判定が確定した。 佐藤医師は「女子医大が秘密裏に報告書を作成して、その報告書を作成したのが心臓外科とは全く関わりない先生たち。医学的な事実としても間違っているし、論理ももちろん間違っている。その報告書を読んだときに心臓外科の我々は『なんだこりゃ』となり、これはひどい内容だなということはわかった」と告白。 「しかし、それを否定してはならないことになって。あの報告書は否定されると、特定機能病院(診療報酬の優遇措置を受けられるほか、難病患者の保険診療の一部が公費扱いとなるなど、さまざまな優遇措置がとられる病院)をはく奪されるから『あの報告書は否定してはならん』って形で抑えつけた」「当時の、少なくとも女子医大では上が決めたことに関しては従いなさい、みたいなところがあった」と告白した。 この医療事故をめぐっては大学側から、佐藤医師の認識とは大きく異なる、責任を一方的に押し付けるかのような報告書が出された。佐藤医師は窮地に追いやられ、トカゲのしっぽ切りのような形で2002年に論旨退職している。 「実は僕も心臓手術を受けている身。だから子どもたちが手術場に向かうときの気持ちはわかるので、その子も手術室に行くときに一緒に手をつないであげたりとか、ベッドの上で声を掛けて一緒にベッドを運んでいってあげた」(佐藤医師) あくまで大学は医師個人のミスとして事故を済ませ、優遇措置のある特定機能病院の指定を守ろうとした、と佐藤医師は語る。無罪を主張してきた佐藤医師の訴えが認められたのは事故から8年後の2009年。裁判では「人工心肺装置の瑕疵」が認められ無罪が確定。佐藤医師はその間、先端医療から離れるしかなかったため、小児心臓外科医の夢はあきらめざるを得なかった。 あれから24年、佐藤医師が垣間見た東京女子医大病院とはどのようなものなのか。「女子医大の中ではどっちかというと、もう隣の科はもう他の病院って感じで、横のつながりってのは非常に希薄」。女子大ゆえに医局に入ってくる男性医師の多くは他大学出身者で、横のつながりは希薄で縦割りだと、東京女子医大病院特有の世界を語った。 日常的に起きていたこととして「救急がきたら例えば『胸が痛い』って言っても必ずしも心臓ってわけでもない。おなかが痛くても実は循環器ということもあり得ます。そういったのを診断ができたときに、また別の先生を呼びに行かなきゃいけない。たらい回しというか、他の科との連携がやっぱりよくない。オーバーラップした疾患に関わるようなときは、横の連携が上手くとれないことがあった」と明かした。 また「至誠会」という女子医大のOG会についても言及し、「そこはもう大学運営に関しては強い。なおかつ当然のように外の医師と結婚する至誠会の人もいる。その中で権力争いなども生まれる」と指摘。逮捕された元理事長も至誠会の会長を務めていた。 現在、佐藤医師は開業医のかたわら、多発する医療事故の裁判などの相談に関与しているそうで「医療と法律に関わることに詳しくなったので、医療と法律の間でいろいろな“すれ違い”とか紛争が起きるのを解決するのに役立っていればいいなと思っている」と語った。 (『ABEMA的ニュースショー』より)

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