伝説の相場師・加藤暠(あきら)を知っているか。 投資家集団「誠備(せいび)」を率いて、個人投資家を糾合して株式市場を席巻した。全国に4000人の会員を擁し、最盛期には1000億円超の資金を動かした。その人脈、金脈は政財界に張り巡らされ、福田赳夫や中曽根康弘、小泉純一郎など大物政治家から、笹川良一や豊田一夫といった大物右翼、関西電力の芦原義重会長、最強の経済ヤクザ・石井進稲川会会長まで大物がずらりと並ぶ。 「加藤が大物から信頼を勝ち得ることができたのは、預かった金で、儲けた分は全部とってください、損した分は全部私が被ります、というシンプルな手法だったから。当時は暴力団ですら自由に株取引ができる緩い時代でもあった。株を買い占めるだけの潤沢な資金と株式相場に対する天賦の才が時代を動かしたのです」 『株の怪物』で西﨑伸彦さんは、加藤の仕手戦――投機的な売買で株価を操り利益を得る――を明らかにしていく。敵の動きはもちろん、仲間が裏切って売りに回れば、株価は値崩れし、売り抜けられない。売り方と買い方との心理戦は、生き馬の目を抜くがごとく熾烈を極めるものだ。ただ、「相場操縦で儲ける極悪人という印象とは違う」とも評する。たとえば、彼は信仰心が強く、自宅に4つの大きな神棚を祀り、毎朝、浅草の待乳山聖天(まつちやましょうでん)へお参りしていたという。彼の祈り、それは、みんなに儲けてもらいたい、救われて欲しい、だった。 「相場の世界には、勝つ者の陰に必ず負ける者がいる。勝てば称賛されるが、儲けが出なくなれば罵詈雑言を浴びせられる。ただ、裏切られ、逮捕されても、加藤は株式市場に舞い戻ってくる。何が彼をそうさせるのか、知りたいと思いました」 〈わたくしは4歳のときに広島であの原爆に遭いました〉。講演会では、自身の凄絶な生い立ちを語っていた。 「被爆した後、入院を拒否された病院は台風で流された。死んでいたかもしれないという経験をし、その後、高校で肺結核に罹り、療養に3年半かかり、官僚か政治家になるという夢は潰えてしまう。そのルサンチマンは深かった。〈権力、金力、暴力〉を手に入れたと言って憚らない自己顕示欲と相俟って、加藤は株へ執着していったのではと思います」 週刊誌の駆け出し記者だった20代の頃、加藤の側近だった人物と知り合って以来、加藤と縁のある人と出会うようになる。今年1月に刊行した『バブル兄弟』で描いた高橋治之・治則兄弟も、加藤と繋がる。 「昭和史の有名事件も例外ではありません。たとえば、府中の3億円事件。輸送中の現金を白バイ警察官に扮した男に奪われた。この事件の“最後の容疑者”とされた人物は、のちに加藤の側近となります。しかも、加藤が暴力団関係者に拉致されたときに、窮地を救ったのがこの男だった。なぜ加藤が攫われたことを知り、監禁場所に向かうことができたのか、は謎ですが……。経済事件には、点と点が繋がっていく面白さがある」 “兜町の風雲児”とも称された男の実相を詳らかに描くことができたのは、加藤の亡妻に託された段ボール数百箱に及ぶ遺品、株式データ、書簡、住所録、全国の神社仏閣の御札、などに拠るところが大きいという。 「銘柄を教えて欲しいと懇願する元警視総監や、『人の痛みを知れ』と糾弾する実兄などの手紙もありました。人間の欲深さと深い怨嗟に晒されながら、死してなお続く夫への誤解を、奥さんは解きたかったのでしょう。私は加藤には会えませんでしたが、当時を知る人の話を聞けたという点では間に合ったのかなと思います」 にしざきのぶひこ/1970年、岡山県出身。「週刊ポスト」記者、「週刊文春」記者を経て、2020年にフリーに。経済事件をはじめ幅広い分野で取材を続けている。著書に『巨人軍「闇」の深層』『中森明菜 消えた歌姫』『バブル兄弟“五輪を喰った兄”高橋治之と“長銀を潰した弟”高橋治則』などがある。