【ルポ風俗の誕生・JKビジネス】ヒントは「アキバの足踏みリフレ」から…法の間隙をついて〝邪進化〟

1月に石川県や東京都のソープランド経営者2名が逮捕されるなど、スカウトグループ狙いで相次ぐソープの摘発や、風俗ではないメンズエステの過激サービス増殖など、風俗業界が揺らいでいる。そもそもさまざまな風俗はどのようにして生まれたのか。ノンフィクションライター・高木瑞穂氏がそのルーツを辿る。今回のテーマは「JKビジネス」だ。 ◆元祖JKリフレを作った男 法律や条例には、必ずと言ってよいほど“ほころび”がある。不備や矛盾、抜け穴のことだ。そのほころびに乗じて生まれた『JKビジネス』は、悪行に法整備が追いついていないことをいいことに風俗業界を荒廃させた。 現役女子高生世代を使い、マジックミラー越しに下着を見せる。ストリップまがいのショーや本番もさせる――。職業安定法や興行場法など風営法以外での摘発を重ねながらも、熱気は増していく。’14年に「ユーキャン新語・流行語大賞」の候補になる。時を同じくしてアメリカ・国務省がまとめたレポート「人身売買に関する年次報告書」で性目的の人身売買(援助交際)の温床だと揶揄される。歴史を調べると、はじまりは東京・秋葉原にあった足踏みリフレ(足の裏を使って全身をもみほぐすマッサージ)店『JKリフレ アキバ踏んデレ学園 体育の時間』であることがわかった。 同店は実は、友人である林隆行(仮名)が経営者だ。話は’08年にさかのぼる。林はこう話す。 「あの店、高木さんから秋葉原の足踏みリフレ店の話を聞いて、ひらめいたんですよ」 秋葉原の足踏みリフレ店といえば、当時『週刊SPA!』の特集で取材し、取材中にも多くの客が入店するなど流行っていたと記憶しているが、そもそも筆者からの発信だと言うのだ。林の記憶によれば、筆者が取材を終えたその足で彼が当時、細々と営んでいた個撮店(=カメラマンとモデルの1対1で行う個人撮影会)に寄ったという。そこで林から個撮店の売り上げ不振の話を聞くなかで、 「働くセラピストは20代前半の女性が中心だけど、中に現役女子高生が交じっているからか、けっこう繁盛していたよ」 と、なにげなく言った当時の記憶が蘇る。確かに、足踏みリフレ店の内情を話していた。 当時、秋葉原の足踏みリフレのように、働く女の子がメイド服を着用するリフレ店は存在していたが、女子高生をウリにする店はまだない。すぐさま林は、ティーンを集めて体操服を着させ、個撮店から『JKリフレ アキバ踏んデレ学園 体育の時間』へと鞍替えする。そして当時、デリヘルやアダルトビデオで“JK”が流行っていたことから“JKリフレ”と銘打った。個撮店は思うように売り上げが立たない状況だった。 リスクはあったが「背に腹は代えられなかった」と林が続ける。 「ホンモノの女子高生との接触やパンチラをウリにしたグレーな形態だから、ヤバいと思いつつも“JK”の冠をつけた。結果、メイド好きのアキバ系の客だけでなく一般のロリコンたちが集まってくれたから、よかったけどね」 ◆「脱法行為にこそ金脈が眠っている」 秋葉原のマンションを訪ねた。アキバ踏んデレ学園が入居していた場所だ。が、すでにもぬけの殻だ。摘発される前にやめる決断をしていた林。’09年頃のことだ。 だが’18年、大阪で店舗型リフレ店を経営していた林は「個室で性的サービスをさせていた」として風営法の禁止区域違反容疑で逮捕された。50万円の罰金刑で執行猶予付きの判決だった。だが林は悪びれることもなく、この逮捕を、資金力をつける下敷きとした。 「脱法行為にこそ金脈が眠っています。リフレやお散歩はもちろん、マジックミラー越しにJKコスのパンチラを見る『見学クラブ』のような、いつ摘発されてもオカシクない業態は、デリヘルやキャバクラなど風営法で守られた“正業”で成功する大手が絶対に手を出して来ないジャンルですからね」と林はこれまでの曲折を語った。 林はこの手の商売の旨みが捨てきれないようで、いまもコンカフェ(=コンセプトカフェの略。メイドカフェとガールズバーの中間に位置する業態で、患者とナース、野球ファンとチアガールといったさまざまなコンセプトのもと、客はアルコールを含めたドリンクを飲みながら嬢とイメージ接客を楽しむ)などの合法ではあるがグレーなビジネスを展開している。 ◆摘発がきっかけでブームに火がついた JKビジネス・ブームの火付け役は、’10年11月に横浜市中区福富町で藤井貴光(仮名)が起こした女子高生見学クラブ『A』だ。翌年5月18日に労働基準法違反(年少者の危険有害業務の就業制限)の疑いで摘発されたこの店にも誕生秘話がある。この業態のパイオニアである藤井は、構想について「20年前からありました。1990年代のブルセラ全盛期に女子高生が制服姿で歩いていると、パンツを見ようとして後を追う男たちがいました。そんな光景をよく目にする中で『これは商売になる』と思っていたのです」と語った。 のちにこの店は摘発されることになるのだが、藤井によれば「高木さんが『FRIDAY』で潜入記事を書いたことがきっかけ」だ。藤井がコトの顚末について話す。 「刑事から『FRIDAY』の記事を見て摘発したとはっきり言われました。一方で、雑誌に書かれたことでお客さんが増えて随分儲けさせてもらいました。また、この件での唯一の救いは、略式起訴(30万円の罰金刑)で済んだことですね。 一人でも苦痛だったとか、強制的に出勤されられていたなどの供述があったら、児童福祉法違反で3年のムショ暮らしだった。取り調べの際に、看板娘のX子(当時17歳)しかり、一緒にもっていかれた女の子が誰一人として『店が嫌だった』などと店に対しての嫌悪を示さなかったのです」 ◆「ミラー越しにパンツを見せるくらいはいいんじゃね?」 この看板娘・X子にちなみ、摘発時の店名は『A』から『X』へと改称していた。 X子に話を聞きたい。そう思って記憶を辿ると、摘発後にインタビューしたデータがパソコンに残っていた。以下、私との一問一答である。 ――どうしてこの店で働き始めたの? 「友だちの紹介。当時はパン屋で働いてたけど、自由で楽そうだし、バック(客が支払った指名料の半金)もあるし」 ――セーラー服を着用してマジックミラー越しに体育座りする。それが必然的にパンツを見せる行為になるというのは、わかってたよね。 「うん。最初は嫌だったけど、ミラー越しにパンツを見せるくらいはいいんじゃね? みたいな(笑)」 ――ミラーの向こうでお客さんがナニしてるかは、知ってた? 「フツーに見えちゃってたから、知ってたよ。裸になって、手でシコシコしてたり。まあ、慣れれば“別に”って感じ(笑)」 ――摘発されてもまだ、こいういう店で働きたいと思う? 「思う。ぶっちゃけマジでおいしいバイトだった。ほら、月に20万以上は稼げたから」 “罪の意識”について何度も問いただした。「あったらやってないよ」。そう即答するX子は、まだ17歳だった。 『A』摘発報道によりJKビジネスは、またたく間に世間に広がり、都内では、派生した「JKリフレ」や「JKお散歩」が警察とのいたちごっこを繰り広げた。 藤井が考え抜いた末に構えたのが「作業所」と銘打った『B』。女子高生に「体育座り」をさせるのではなく、折り鶴やビーズアクセサリーを制作する「軽作業をマジックミラー越しに見せるだけ」という建前だった。 「旨みを知ってからは、どうしたら摘発から逃れられるのかと日々、知恵を絞っていましたね」と藤井。藤井は’15年5月半ば、「18歳未満の女子高生らに、客に下着を見せながら手作業をさせるなど有害な業務に就かせた」として、労働基準法違反(危険有害業務への就業)容疑で2度目の摘発となった。 「グレーであってもクロではないはず。警察が事件を作るのはいかがなものか」 藤井は女子高生の性を売りにしたこの商売について「アイデアだ」とした上で、こう話した。しかしこの摘発はいわば、藤井の問いに対する警察の回答のようなものだった。 【後編】『「18歳以上に本番させて荒稼ぎ」’17年に条例で壊滅後の”末路”』では、条例によって”壊滅”したJKビジネスのその後などについて紹介している 取材・文:高木瑞穂

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