〈「捏造したものは捜査機関以外に事実上想定できない」裁判長の異例すぎる発言を生んだ袴田事件の“闇”〉 から続く 1966年、静岡県で一家4人殺害事件が起きた。約60年経った2024年、そこで逮捕されて死刑が確定した袴田巌さんが、やり直しの裁判で静岡地裁に無罪を言い渡された。 判決に際しては、当初から疑惑の目が向けられていた物証について「犯行時の着衣として捏造した者としては、捜査機関以外に事実上想定できない」と裁判長が指摘するなど、捜査機関への厳しい目が向けられた。 長らく冤罪事件として話題になり続けた「袴田事件」。それを当初から目撃してきたのが、刑務官、いわゆる刑務所の“看守”を務めた作家の坂本敏夫氏だ。坂本氏自身、親子三代にわたって刑務官を務めた「刑務所側の理屈」を最もよく知る人物の一人。その坂本氏が、この冬、無罪が確定した袴田さんのもとを訪ねた――。 ◆◆◆ MBSディレクター時代に20以上の冤罪事件を取材してきた里見繁元関西大学教授は、袴田事件を巡るこれまでの司法の態度を次のように批判する。 「判決文や決定文で『捏造』という言葉が使用されたのは、この袴田事件が最初。冤罪には必ず、嘘の自白と捏造証拠がある。過去の死刑冤罪4事件でも、すべてに捜査機関による証拠の捏造があった。 にもかかわらず、裁判官は再審開始決定や再審の判決で、一度も『捏造』という言葉を使っていない。狡く言い換えている。これは検察への気遣いなのか、あるいは怯えなのか」 それほど重く、画期的な裁判所による捏造認定。ところが、この判決について畝本直美検事総長は「(捏造については)何ら具体的な証拠が示されていない」「判決は到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われる」と袴田さんを犯人扱いするような談話を発した。 2024年の就任時、女性初の検事総長として注目を集めた一方で、その前年の東京高検検事長時代に自民党派閥の裏金事件を指揮し、幹部議員を全員不起訴にしていることも話題になった畝本総長。 彼女の発言に注目が集まる中での、まさに暴言とも言える言葉に、袴田弁護団は撤回を求めていたが、テレビの取材を受けた秀子さんは笑い飛ばした。