「引退して家事に専念するから」いしだあゆみさん 元マネに明かしていた「ショーケンへの愛」

3月11日、『ブルー・ライト・ヨコハマ』などのヒット曲を持ち、映画『火宅の人』やドラマ『金曜日の妻たちへ』(TBS系)などで活躍した歌手で女優の、いしだあゆみさんが甲状腺機能低下症で逝去した。享年76だった。 自身は子供を持たなかったいしださんは、その生涯で一度だけ結婚生活を送っている。お相手は’19年に逝去したショーケンこと萩原健一さん。いしださんを知る音楽関係者はこう語る。 「ショーケンさんとの結婚生活は’80年から’84年の4年ほどでしたが、彼が飲酒運転による人身事故で逮捕されたり、大麻不法所持で逮捕されたりと、けっして平穏なものではありませんでした。 それでもいしださんは、常に夫を支え続けようとしていましたし、離婚してからもショーケンさんを思い続けていたようです。幾度か交際報道もありましたが、再婚しなかったのは、そのためもあったのだと思います」 いしださんのマネージャーを7年間務め、現在は「サンズエンタテインメント」プロデューサーの野田義治さんは、いしださんと萩原さんの生活について次のように話す。 「いしださんは、よく“結婚は一度きり”と言っていました。“結婚して別れたら、もう二度と結婚しない”と……。その一度きりのお相手に選んだのが萩原さんだったわけですが、その理由は僕にもわかりません。 萩原さんはふだんはすごくノーマルで“いい人”でしたが、仕事になると180度変わる人でした。そんな極端な2つの面を持つところに引かれたのかもしれません」 ■「結婚したら…」いしださんが決断していた引退 野田さんは2人が挙式した’80年5月にマネージャーを辞めた。 「いしださんご本人が、『結婚したらこの業界を引退して、家事に専念するからね』と、おっしゃっていたので、僕もそのつもりだったのです。それだけ萩原さんに尽くす覚悟を決めていたのでしょう。 まだ結婚式をする前ですが、僕が仕事終わりにいしださんを自宅に送っていくと、萩原さんがいたのです。僕の顔を見て『上がっていけよ』と言うのでお邪魔すると、いしださんに向かって、『おい、野田にお茶を出してやれ』と……。 本来だったら僕がお茶をいれる立場なのに……。うれしそうに萩原さんの言いつけに従ういしださんの姿が印象的でした」(前出・野田さん) 離婚後もいしださんは、スポーツ紙の取材に対して“すごく愛されましたから。私から見れば理想の夫婦でした”と、萩原さんへの愛を語っていたという。 前出のいしださんの家族と交流のある男性によれば、いしださんの母が亡くなったのは’10年ごろ。その少し前に、いしださんは鎌倉の一軒家から東京都内の1LDKマンションに引っ越している。その際、大がかりな断捨離も行ったそうだが、そうしたミニマルライフについて、本誌のインタビューにこう語っていた。 「私はね、夜に電気をつけないんです。もう30年くらいになるかしら。夜が来て暗くなったら月明かりですよ(笑)。《中略》月明かりってドキッとするし、太陽よりも神秘的にものを映し出してくれると思うんですよね」(’11年7月19日号) 孤高の月明かり生活で、いしださんが見ていたのは、結婚以来45年思い続けていたというショーケンの笑顔だったのか。

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